埋もれないように綴る

生きにくくてもなんとか生きること

『乳がん』と診断されてからのこととか ①

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今年2月に手術をして、特に命に別状なかったのですぐに社会復帰できるつもりでいたが、なんやかんやとダルさが取れずにいて仕事復帰できない不安がある。

 

手術のために仕事を辞めた訳ではなく、昨年11月いっぱいで仕事を辞めたのちの検査結果で『乳がん』と診断されたのだった。まあ、あがいても仕方ないし、お医者さまにお任せするしかないな、、、と深く考えずに手術に備えることとなった。医学は進歩しているし、私のなくなった姉も『乳がん』で余命3ヶ月と診断されて10年生き延びたヒトだったし。

 

退職前の11月中に、次の3ヶ月短期派遣の仕事が決まりかけていたが、検査などでお休みをいただく必要が出来たので、辞退することとなる。

 

その時点で病気とは思っておらず、4月からツレの仕事を手伝うことになるかもしれなかったため、長期の仕事は考えていなかった。ちょうど決まりかけたその仕事は、期間中に休まないことが前提の募集だったためやむなくの辞退だった。

 

派遣会社の営業さんはいつのときも関心するのだが、こちらの質問に対して的確に即答もしくは、確認後に返答やアドバイスをくださる。とても凄い能力だと思う。お世話になっていた派遣会社の、特に女性の営業さんはどのかたも本当に有能で、しかも大変なお仕事で頭が下がる思いだ。

 

この決まりかけた短期派遣の際の担当営業さんも、とても聡明なかたで、丁寧でもあった。

 

私は馬鹿正直……自分を内面以上に良く見せようと出来ない性分というか、まあ平たくいうと要領が悪い。派遣先への面談の前に営業さんとの打ち合わせ時に、その前にした健康診断の再検査の結果待ちでありと説明し、検査の結果によってはその後病院へ通うことになるかもしれない状況にあると相談したところ、そのほかにも不安なことを相談したこともあり「正直過ぎますよ」とやんわりご指摘いただいた。

 

この、要領の悪いままの私を雇ってくれる会社で働けないかと思っているから、派遣社員の面談時は本当に困る。マイナス要素を発言しないように自己紹介をしなくてはならず、そのことの難しさ。私の場合は客観的に自分を判断できるという、一見プラス要素のようでもあるが、その客観的判断により、自分の売りどころは“人当たりの良さだけ”だと解っている。困ったことに自虐的判断ではなく、とにかく事務処理能力の遅さは一目瞭然。

 

人当たりの良さと、一見キャリアウーマン風の見掛け(倒し)で、面接受けがとても良いために簡単に採用が決まってしまう。これは良いことであるようでいて、実務の理解力・処理能力に問題がある自分にとっては、その後に、周りの期待とのギャップに困ることとなる。

 

もちろん困っているだけではいけないこともわかっているため、自分では精一杯処理しているつもりではいるが、どの職場においても、どうしたって平均にも追いつけない。平均だけではない。多分下から数えたほうが早く、1・2を争う処理能力の無さ。この派遣会社で紹介してもらった職場は全て、処理能力の遅さがネックとなり辞めて来ていた。

 

11月までいた職場の(派遣会社の)担当営業の女性は、いつも親身になって私の不安を解消してくださっていた。彼女が元気づけてくれていたから2年半ほど働いていられたのだと思う。派遣先の所属長のかたも、とても良いかたでそんな私の要領の悪さも、個性としてみてくれており、誠実にこなそうとしているさまを評価してくださっていたようだ。

 

とはいえ、どんなに努力しても捗らない様を、実務を直接指導してくださるかたは、理解できなかったことと思う。そのかたが、とても誠実なかただったからこそ、私の判断力不足や、理解力不足によるミスなどで迷惑をかけていることが、苦痛になっていった。

 

最近企業では毎年“ストレスチェック”なるものがある。前年までは特段問題なかったが、去年の結果がかなり悪かった。自分でもストレス過多と認識していた。どう改善したら良いのか全く方法が見つからなかった。担当営業のかたは、何も心配はないと言ってくださっていたが、現場での空気は私にはとても重く感じられた。

 

最終的に退職の意志を伝えたときに、担当営業のかたにキリがいいからと年内いっぱいとご提案をいただいたが、その1ヶ月を待てずに11月いっぱいでの退職として貰った。精神的に限界だった。

 

こんなことをずっと繰り返している。本当に、人当たりの良さだけ……。努力が足りないのだとしたら、人一倍の努力をしないとこなせない。企業では処理時間は短いほうが良いに決まっている。努力で時間を短縮できない。企業で働くには、能力が追いついて行かない。

 

とはいえ、収入がないと生きていけない。

 

そんななか、もがいているときに『乳がん』と診断された。

 

診断結果自体は、事実であり認めなくてはならず医師の判断に従ったほうがよいので、さほど混乱はしなかった。お金は、投資信託を考えていた資金を全て充てれば良いと思った。

 

また、姉をがんで亡くしていたため10年前に保険に加入していた。もう、どういった保証内容だったかも覚えておらず、このまま掛け捨てになると思っていた保険が役にたってくれるときがやって来るとは思っていなかった。

 

これで何とかするしかない。

 

とはいえ、仕事が全くなくなるのは心配だったので単発の仕事を探すことにした。

 

……ちょこっと愚痴をどこかへ言いたくなっただけだったのが、長くなりそうなので今日はここまで。その後、仕事を探しながら手術への準備をすることになる。

 

少し気持ちが弱っているときに書いたが、落ち込むこともなく淡々と書いている。自分の頭のなかを整理したいだけ。読んでくれたヒトが重い気持ちになってしまったとしたら申し訳ないが、自分ではちょっとした頭のなかの整理なので、事実だけサラッと流して読んでいただけると幸いと思う。

 

なんか、このブログではいつも少し重い内容になっていないかな?とも思っている。ただ今の時点では『乳がん』は切除しており、進行しておらず悪化のリスクも少ないということまでは書いておこう。

 

不気味な夢をみた

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昨日明けがた、なんとも奇妙な夢をみた。とても強烈だったのでメモとして残しておこうかと思った。

 

いつものことながら、ストーリーはほぼないに等しい。が、映像として鮮明、内容はまったくリアリティないのに光景だけがやけに生々しかった。

 

ちょっとした、高くはない山。それも緩やかでない崖で、先端は突がった感じ。その上に小さなメルヘンチックな小屋があって、小屋の中はメルヘンチックな女子中学生向けっぽい内装の6〜8畳の部屋。そこで雑貨や洋服を販売している。

 

誰かと、"ここのうえは、こんなになっているんだ、、、。ここで販売も良いなぁ"などという感想持ったりしてるんだけど、ここからが、酷い。

 

崖を降りるとその下は、所々が血の海となっていて、大量のカラスが何かを襲っていたり、獲物を探していたり。現実では見たことない悲惨な光景。

 

とても不気味な筈なんだけど、私はそれほど動揺した様子もなく、カラスに食べられないように気をつけながら、そーっとその場から離れようとしている、、、。ここで目が覚めた。

 

本当に目の覚めるような、鮮明な色遣いだった。

 

そんな夢なのにあと味は何故か悪く感じられなかったのが不思議。

 

カラスはもともと嫌いではないし、怖いという感情の起こる要素も少なくて、ただただ、カラスに食べられたら困るなぁ、と思ったことと、血の海という光景が不気味だな感じたという夢。

 

なんの暗示だったのかしら。。

とりあえず月曜からも仕事頑張る

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仕事できるヒト、作業を難なくこなせるヒトにはどう説明しても多分わからないと思うけど、不向きな事の作業スピードを上げることは、容易ではない。

 

自分で余分なプレッシャーをかけてしまうと、より捗らないこともわからないではない。ただ、どうにしても不向きなことを続けている状況はツラいことには変わらない。

 

ぐるぐる、ソコに置いて貰っているのだから、それに従ってモヤモヤ考えずにとにかくこなせばいいと思う。ただ、やっぱりこれまでもチカラ不足だな、と感じた場所では最終的にそういう評価のもと職を失ってきている。連続3回も続けば、気のせいではないと、自分の感じ方は当たってしまっている。

 

これは気の持ちようだけではなく、明らかにチカラ不足。

 

努力の仕方が違っているというなら、それも能力が不足しているから。

 

これを言い訳と言われてしまえば、救いがなくなってしまう。

 

仕事が捗らないツラさは、同じ悩みをもっている者にしかわからないだろうな。これも、自分がいるべき場所にいないからなんだけど。

 

あー。これは、このツラさから抜けるには、自分で解決方法を見つけるしかなくて、これまでもなんとかしてきているし、これからもなんとかなるものだとわかっている。

 

どう努力してもコノ居場所は明らかに自分の場所ではないと自覚していながら、しばらくはこの努力は続けなければならない。

 

ちょっとしんどい時期だな。

 

 頑張れないことはないから、日々、乗り越えるとして、頑張れ、私。頑張ってるけどな、自分を責めてはいけないよ。まだちょっと掛け違えているだけ。

 

ただ、不向きなことはやはりツラい。

ごく稀に湧いてくる創作意欲

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昨日はキツかった。けっこう落ち込んだ。やっぱりそうか!というお話だが、改めてわかるとツラくなるな。

 

自分が納得して完成させることと、職場での評価は大抵の場合一致しない。スローペースの私だし、企業ではとにかくスピード重視なので仕方ない。「急ぐ=慌てるではない」とわかってはいるが、私には「急ぐ=慌てる」となってしまう。「急ぐ=精度が劣る」になってしまう。

 

で、「早くしましょう」の指示が出るとプレッシャーがかかる。いや、日頃からスピードへのプレッシャーを人一倍感じているから、指摘があるとかなりこたえる。

 

ここからは、伸ばしてもたかが知れている。前回も書いたが、努力はヒトの何倍も要する。プレッシャーとの葛藤と闘いながら作業効率を上げることのツラさがかなりのストレスとなる。

 

どの職場でも言われ続けた。「丁寧でなくて良いから早くして」と。ただ、丁寧さを欠くとミスに繋がる。当たり前だが仕事上ミスはロスに繋がるから良くないに決まっている。

 

人一倍注意力を注がなければ、ミスを発生し易いから時間をかけなくてはならないのに。時間をかけるな、と。

 

当初から向いていない職場だとわかっていたが、この段階で、自分のいるべきトコロではないことが決定的となる。

 

但し、家賃が発生している以上、職を失う訳にはいかない。

 

こういう状況になると、ナゼかいつも創作意欲が湧いてくる。恐らく自分の在るべき姿を確立したいとか、自分に出来るなにかを探したくなるからなのだろう。

 

立体のものを創作するとか、描くとか。

 

結果、blogを綴り始める。

 

追い詰められている、、、いや、自分で追い詰めている時に起る衝動。

 

辛かった昨日から明けた今日、ふと目にした占いに「創作意欲に力をいれたりするのがおすすめ・・・のちのち周囲からの高い評価に繋がるでしょう」との内容があり、もう、どこかからのお告げとしか思えず、続けてblogを書いてみることにした。

 

そもそも、周囲からの高い評価が欲しいわけではなく、ひたすら穏やかに過ごせる環境が欲しいだけ。穏やかな環境を手にするべく、試行錯誤の毎日なのだ。

 

ものを綴りながら、唄を唄いながら、美味しいものを食べ、呑んで、美しいものを観て、温かいできごとにココロを揺さぶられながら生きてゆきたいと、そんな気持ちでblogを綴っている。

 

ひたすら穏やかさを求めて湧いてくる創作意欲。

 

 

 

心地よい居場所さがし

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ずっとずっと、いつもどこにいてもなんか違うな、と思っていた。まわりの皆んなと同じに進むことができない。同じに進む必要なんてないと、優しい知人・友人は言ってくれる。自分でもアタマの中では良くわかってるつもり。

 

まわりに合わせずに生きて行ける場所が未だに見つからないでいる。

 

うううん。正確には、自分にとって居心地のいい場所なんて沢山見つかっていて、居場所だってある。

 

ただ、仕事しないと生活を維持できない。いつもいつもソレがネックだった。厳密には、うまく馴染める仕事に未だに就けないでいる。結局のところ稼ぎがないと自分の心地よい場所は維持できず、稼ぐ為には居心地の悪い社会に、合わせないとならない。

 

そもそも仕事に限らず、社会のスピードについていくことが、子どもの頃からツラかった。

 

自分では、それでも何も困らないのだが要所要所で思い知らされることになる。私にとって普通のスピードでは、社会では全く通用しないこと。

 

それでも若いころは、私でも通用する会社がどこかに存在していると思い、その社風についてゆけぬのなら転職すれば良いと思っていた。その結果、履歴書が凄いこととなった。

 

いい加減、転職もウンザリ。会社もウンザリ。社会もウンザリ。

 

なんでだろう。どんな作業もヒトの倍近く時間がかかるし、時間をかけたとしても、精度に欠けている始末。

 

毎回、毎日、何度となくココロを入れ替えて頑張れば、私にもデキる!と考えなおしたことか。

 

これはもう気のせいなんてものではなくて、恐らくはADHD

 

いつもギリギリの状態で社会の中にいる。

 

きっと私を知るヒトは「何を言ってるの?」「ちゃんとしてるじゃん?」と言ってくれることだろう。そう、私は「大丈夫なヒト」としてなんとなくだけど社会の中にいる。

 

いつもギリギリの状態だけど社会の中にいる。

 

ちょっと頑張ればできるのでは?という中で生きている。

 

そう、他人が見たならばきっと「ちょっとの努力でできること」私にはかなりの困難が伴なう。職場での毎日がツラい。とにかくツラい。

 

日々頑張っているヒトの前では言えない。私よりもっと大変なことこなしているんだもの。少しの弱音はこぼしたりするけれど、結局のところいつも私は大丈夫なんだ。毎日ツラくても、なんとか生き続けていられる。そして笑い続けて、すぐに笑顔に戻ることができる。

 

子どものころから、ずっとギリギリだから何かの拍子に、何で?というタイミングで涙が止まらなくなってしまう。

 

自分の何がいけなくて、どうしたいのかはわかっているが、苦手なものを克服できる術がない。

 

その苦手なことは、自分の中では克服する必要のないこととわかっているが、社会の中では克服していかなくてはならないこと。克服しなくては他人に迷惑がかかってしまうから苦手なことと付き合う日々。無理などせず過ごせる方法がみつけられないでいる。

 

仕事以外では、ほぼ人生の楽しみかたはわかっている。居心地の良い場所だって幾つもある。

 

日常生活で多くのウェイトを占めてきた、幼稚園、学校、職場での時間がとにかく苦痛でしかなかった。これらの苦痛からは逃れることができずにきている。

 

苦痛でない仕事をみつけられないでいる。

 

職場では日々、それらを苦痛と感じないよう自分なりに努力している筈。マイナスの感情が働かないように心がけている筈。が、とにかく作業スピードは速くならない。何をどう改善したら良いのか方法が見つからない。甘えている場合ではないと自分に言い聞かせながら。

 

でも、職場で周りのスピードに追いつけないでいるということは、自分が苦しいというだけでなく、その事実に気づいてくれている周囲にも負担を掛けてしまうこととなる。

 

これが一番ココロに良くない。

 

ヒトに掛けている負担を自覚することほどツラいことはない。

 

今までもずっと、そこから抜け出す方法をさがしてきていて、何度環境を変えても改善できないでいる。

 

後悔しても仕方ないし、誰のせいにしても仕方ない。自分で克服するしか方法はない。時おりそのプレッシャーに押し潰されそうになる。が、ココロのなかで、自分が決して潰れないこともわかっている。

 

この精神力は誇るべきところだと自覚している。自分のなかで一番誇るべき長所だ。ただ、これは作業スピードを上げることには無力。大多数の職場ではほぼ役に立たない長所。

 

今回綴ったのは序章。

 

人生も恐らくは中盤を過ぎた私が、これから先、心地よく過ごせるようになるための覚え書き。

 

自分が折れないための覚え書き。同じように苦しんでいる多くのヒトにも伝わる何かがあると良いな、と思う。

 

これを読んで、何がツラいのか理解できないアナタは躓いていないヒト。大丈夫なヒト。

 

これを読んで、私が真っ暗な中にあるとご心配いただいたアナタは優しいヒト。でも、安心して大丈夫。私の誇るべき一番の長所は、決して潰れない精神力なのだから。

 

そして、序章の最後にコレだけは書いておくけれど、私の毎日はほぼ笑顔でいられるし、たくさん笑える。たくさんの美しいものを見つけられている。楽しいことも感じられる。心の底から楽しめる居場所もある。優しい友もいる。

 

ただただ、仕事がうまくこなせていない。1日の多くの時間を占めるこの職場ストレスを改善できるようコントロールするための覚え書き。